健全なる精神は健全なる肉体に宿れかし <「~かし」・・・は希望・願望の終助詞です>

ネタとしてはもう古くなりましたが、ワールドカップの最終戦でのジダンの頭突き問題の件・・・確かに、マテラッツィーのやじ(?)も、うんざりでした(ーー;)。

しかも、マテラッツィーの語った「売○婦の~~」という言葉は、イタリアではよく使われることばなんだとか・・・。いやはや・・・母としては、息子につっこまれたらどうしよう・・・とTVで見るたびにひやひやしておりましたが、なんとか聞き流してくれてホッとしました。

それにしても、こういう暴言は試合中にしょっちゅうあることだとか・・・・・ペナルティ狙いでわざと倒れたりする事も世界のプロの世界ではよくあるとか・・・・・そういう報道を何度か目にするようになって、私の頭に浮かんだのは・・・・・

「健全なる精神は、健全なる肉体に宿れかし」と言う言葉。

この言葉は、ナチスや一部のスポーツ関係者の間で「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」として誤用されつづけたきたのですが、本来は違うのです。

これは、古代ローマの風刺詩人、ユウェナリスの言葉で、きちんと訳するならば、「宿る」ではなく、希望・願望の終助詞である「~かし」をつけるべきで、「せめて健全なる精神が、健全なる肉体に宿ればよいのだが、なかなかそうはいかないもんだなあ~」という皮肉の言葉である・・・・・と、昔漫画(ゴーマニズ○宣言)で、読んだ事があったのです。
そこで、一連の報道を通して思い出したのですが・・・・。

でも、このことをブログに書こうと思って、ネットで検索してみると・・・・
「宿る」が誤用であることは沢山書かれていましたが、「希望・願望」の解釈としては、私が上に書いたような「皮肉」を含んだものとも言えないようですね・・・。

「(神に祈るならば)心身ともに健康であることを祈るべきだ」というような・・・・・。

そりゃそうよね~と思いますが、これじゃあインパクトがだいぶ弱くなってしまう気が・・・。

さてさて、「宿る」が誤用であるとは随分知られているようですが、1ヶ月程前にも、A新聞の読者の声欄でも、この言葉の誤用を目にしました。

「最近の親は、ちゃんと子どもにごはんを食べさせていないようである・・・・・子どもにとって食事は大切である・・・・・」と、ここまでは何の異論も無いのですが、最後に
「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」のですから・・・・・と結ばれていました。

「宿る」にしてしまうと、じゃあ「健全なる肉体」ってなあに~?って思ってしまいます。病気や様々なハンデを抱えている人を傷つける言葉にもなってしまいます。
ですから、この投書を読んで、とてもいや~な感じになってしまいました。

とにかく、「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」等と言い切った著名人はいません。
この言葉は、「希望・願望」の言葉なのですから・・・・・。

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